2.3.2 第4~7章でやっていること
第4章
〈統語論/意味論(語用論)〉の区別の導入。
簡単に言うと、〈表す記号〉と〈記号によって表される内容〉のレベルを区別しましょうということ。
この区別は、記号論や言語学などで標準的に使われている。
本来は言語表象を想定した区別なので、画像表象に適用するのはやや飛躍があるが、描写の哲学(分析美学の下位分野)では、ある程度までは同じ話ができそうということにはなっている。
この区別をビデオゲームに適用すると、具体的に何がどう記述されることになるかの説明。
ついでに〈インタラクティブ性〉をめぐる議論もこの章にあるが、ほかに入れるところがなかったのと章ごとの分量のバランスをとるために入れただけで、話題としてはあんまり関係ない(流れ上関係あるかのように書いているが)。
第5章
ビデオゲーム特有の特徴として、意味論レベルでの〈ゲームメカニクス/虚構世界〉の区別の導入。
この区別は簡単に言えない。なので本では具体例(スーパーマリオの画面)を使って読者の「直観」に訴えている。
これとおおむね重なる区別は、ゲームスタディーズで(またおそらく批評的な言説でも)それなりに提示されてきた。典型的には、Juul (2005)における〈ルール/フィクション〉の区別がほぼこれに相当する。
区別をつけることのひとまずの正当化。
これもまた読者の「直観」に訴えている。
ようするに「このちがい、普通のゲーマーならわかりますよね?」という戦法。
実際には、この区別の正当化はこの箇所だけでなく、本の全体を通してもなされている。
この区別をつけることでいろいろな事柄がうまく説明できるようになる、というやり方で。
第6~7章
〈虚構世界〉と〈ゲームメカニクス〉それぞれの概念の明確化と定式化。
〈虚構世界〉およびそれを作り出すものとしての〈フィクション〉については、分析美学におけるフィクションの哲学(とくにその中で「標準理論」と呼ばれるもの)の考え方をほぼそのまま紹介している。
〈ゲームメカニクス〉およびそれが作り出すものとしての〈ゲーム行為〉については、ゲームスタディーズの議論をベースにしつつも、わりと独自の議論を展開している。
その他の論点:
6章の後半では、フィクション一般と比較した場合のビデオゲームのフィクションの特殊性をはっきりさせるために、〈インタラクティブなフィクション〉という概念を導入している。
7章の後半では、ゲームメカニクスの存在論を論じている。
主張としては、ゲームメカニクスは普通の社会的制度と存在のあり方としては同じというもの。
この主張の動機のひとつは、「ゲームはフィクションだ」みたいなことがちまたで言われがちという点にある。そのように言ってしまうと、この本で重要視している〈虚構世界〉と〈ゲームメカニクス〉の区別がコンフュージングでだるだるになって台無しになってしまう。